ミケランジェロと理想の身体

国立西洋美術館で開かれている「ミケランジェロと理想の身体」展に行った。展覧会は、「子どもと青年の美」「ミケランジェロと男性美の理想」「伝説上のミケランジェロ」の3部構成。ほとんど予備知識がなく、ただミケランジェロという名前にのみ惹かれて入ったのだが、ミケランジェロの作品をたくさん見られるんだろうなとは思っていた。ところが、70点の展示のうち、ミケランジェロの作品は2点しかなかった。しかも、そのうち1点は未完成作で、もう1点はスペイン内乱で破壊され、本来の40%しかない断片を復元したものだった。その他は、古代ギリシャ・ローマ時代とルネサンス期の彫刻や壁画、絵画、素描、工芸など。そして、ミケランジェロを描いた絵画や胸像などだった。

しかし、ミケランジェロの大理石彫刻は世界に40点ほどしかなく、2点同時に見られるのは極めて貴重だという。そんなこともよく知らなったのだが、ミケランジェロの作品にはやはり圧倒された。

ギリシャ・ローマ時代とルネサンスの彫刻は、体重を片方の脚にかけ、体を左右非対称にしたコントラポストという立ち方で、筋肉を強調して動きを出しているものがほとんどだ。それはそれで見事なのだが、ミケランジェロは筋肉をそれほど強調していない。「若き洗礼者ヨハネ」も「ダヴィデ=アポロ」も静かにスッと立っているような感じだ。それなのに、筋肉を強調して動きを出している他の作品よりも、はるかに存在感がある。まるで、それまでの作品すべてが、ミケランジェロの作品の素晴らしさをより強調するためだけに展示されているようだ。

それに、「若き洗礼者ヨハネ」は40%しかオリジナルが使われていない復元だという点で、また、「ダヴィデ=アポロ」は未完成だという点で、想像力を刺激する。完成品であれば、我々は作品そのものに向き合うことが出来る。だが、目の前にある作品は、復元だったり、まだ未完成だったりするので、我々は作品そのものに向き合うことが出来ない。どうしても完成品を想像してしまう。それは想像ではなく、創造かもしれない。ミケランジェロというルネサンスの巨人の威光もあって、目の前の作品以上の作品を幻視してしまった。

ミケランジェロ展の後、少し時間があったので、常設展を見た。これが驚きだった。国立西洋美術館の常設展は初めて見たのだが、こんなに充実しているとは思わなかった。ティントレット、ブリューゲル、ルーベンス、ド・ラ・トゥール、フラゴナール、ドラクロワ、コロー、クールベ、マネ、モネ、ルノワール、モロー、ロセッティ、ゴッホ、ゴーギャン、ドニ、ルオー、ピカソ・・・中世から現代までの西洋美術史を一覧できるほどの作品が揃っている。とても1、2時間では見切れない。毎日でも通いたいほどだった。

 

 

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